韓国の歴史教育においては、朝鮮通信使を以下のように教えている。日本の学者等によって、韓国のこのような教育が「文化先進国の朝鮮」と「文化劣等国の日本」という意識を韓国民に植え付け韓国起源説の根拠となっているとも指摘されている[8]。だが、朝鮮通信使が実際に書いた日記(日東壮遊歌 など)などの当時の資料を紐解くと、進んだ文化を持つ日本の繁栄ぶりが描写されており、韓国の教育とは相違が見受けられる。
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壬辰倭乱をきっかけに朝鮮と日本の外交関係は断絶していた。したがって、日本は経済的に困難に陥った。ために戦乱後成立した日本の徳川幕府は先進文物を受け入れるために、対馬島主をとおして交渉を許可するように朝鮮に懇請した。朝鮮では日本が犯した誤りを恨みながらも建国以来の交隣政策の原則に照らし、制限された範囲内での交渉を許した(1609年(光海君2年)、己酉約条)。そうして富山浦に再び倭館が設置され、そこで日本人は米、木綿、人参などを求めていった。
また日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。これに対し朝鮮では通信使を派遣したが、その一行はおよそ400余人になり、国賓として待遇を受けた。日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった。したがって通信使は外交使節としてだけでなく、朝鮮の先進文化を日本に伝播する役割も果たした[9]。